記憶日記

だんだん薄れていく記憶を記録する為のブログです。

その2

母1人子3人の生活になって、ママンは怒りっぽかったですww


今思えばシングルマザーの大変さが少しわかるため、仕方ないのかもしれない…でも当時の自分はいかにママンを怒らせないで生活するかで精一杯だった。


昼間パート・夜はスナック…寝る時間は2〜3時間程しかないママンは、食わせていくのにも精一杯だったはず。

父方の祖父母が援助してくれたり、親戚に子守りをお願いして頑張ってました。



しかも、3姉妹共私立の保育園・幼稚園に入れてホントにキツキツやったと思う。




でも、まだ小さい子からしたら構って欲しい気持ちが強いから、親の苦労なんて考えず行動してしまうのです。


姉が特にそうだった。

父親がいた頃の記憶を色濃く残しているせいもあってか、ママンに何かする度に(むしろ何もしなかったから?笑)怒鳴られ・叩かれてた。

ウチはそんな姉を反面教師にし、(使い方合ってるかしら?w)目をつけられない様に生活。

妹は逆に甘やかされていたなぁ。好き勝手しても怒られず、姉が「長女なんだから!!」と怒られていた。





…そして、そんな生活の中でストレスの溜まった姉はウチをターゲットにした。


ママンの真似か、何かあるとウチを怒鳴り・素手や物(ラップの芯とかハンガーとか)で殴り・追いかけ回す様になった。


多分、息を潜めて生活しているウチが気に食わなかったんやろなぁ。

姉に殴られる等の生活は中学校まで続きました。





そんな大変な時期でも、楽しかった事はある。

父方の祖父母が、毎年夏休みに飛行機代出してくれて熊本に呼んでくれてたこと。

クマばっかの牧場や遊園地、夏休みの課題のために、阿蘇山が一望出来る場所に連れて行ってもらい、絵を描いたり。



ウチはおじいちゃんが大好きだった。

いつも焼酎呑んでばっかだったけど、1番可愛がられていたからね。

おばあちゃんは…小言ばっかであまり好きではないw

しかも、おじいちゃんは「息子のせいですまんなぁ…」とよくしてくれているのに対し、おばあちゃんは「どっちも悪かったからね」とかほざいてたから、そりゃ好きになれんわな笑


おじいちゃんの隙をついて、聞いてもない父親の現状とか話してくるし。





それでも、ウチは熊本に行くの毎年楽しみにしてた。


祖父母の家は木造の平屋で、鍵なんてあったかな?ってくらい古かった。


縁側が森だったから、山から降りてきたタヌキにエサやったり・家の周りにアリジゴクがいっぱいいたから、捕まえてバケツで飼ったりと沖縄では体験できない事が楽しかった。



寝てる時天井からゲジゲジが落ちてきて、全ての脚がもげるまでハエたたきで襲うおばあちゃんは笑えたw



小学校まではそんな感じでそれなりに楽しかったのだと思う。